最近の読書の仕方

私はビジネス書を中心に読書しています。まだまだ読むスピードが遅いので、週1冊くらいのペースで読んでいます。

読んだことは、すぐに忘れてしまうのが普通ですが、最近は読書の意味:「その本を読んだことで、自分の考え、行動が変化する気付き」を最低でも3つは書き留めておくようにしています。

私は、読んだ本にラインマーカーを付けるのはイヤですので、何をするか?

最近の本は、重要な箇所と思われるところに、最初から太字にしている、あるいは、マーカーが最初から付いているような装丁の本が多くなっているので、その箇所を中心に、パラパラと読み返し、自分の心に留まった箇所に、付箋を貼り付けていくようにしています。

一回読んだだけで、最初から付箋を貼り付けてしまうと、本の全体が分からず貼っていますので、読み進めていくうちに、あれ?違うな?と思う箇所が逆に増えていったりします。

一回読み終えてから、再度見返すことで、ポイントが絞れますので、ちょっと時間がかかりますが、私は最近そのようにしています。

そして、この付箋をつけた箇所から3つ以上(せいぜい5つまで。たくさん書いても多くの考え、行動を変えるのは無理ですので)を選んで、ブログに書き、有言実行を心掛けます。

どうでしょうか?

皆さんも一度試されてはいかがでしょうか?

続けていること

私は、特定の宗教に心酔しているわけではありませんが、ここ5年以上続けていることがあります。

水行です。

朝、お経を唱えた後に、冷たい水を身体の右肩上、左肩上から両方合わせて22回かけます。これは毎日続けています。どんなに寒い朝も、どんなに二日酔いだったとしても・・・逆に二日酔いの時は、身体がシャッキとして気分が爽快になります。

水行を始めたころより、神さまを意識するようになりましたので、神社にも週一回はお詣りに行くようになりました。

聞いたところによると、氏神さま、総氏神さま、土地神さま、産土神さまには、ほかの神さまより優先してお詣りに行った方がよいとのこと。

なので、今年は、土地神さま、産土神さまに、早速、初詣にも行きました。

継続的に水行をする、お詣りをするということは、「何かを願う」ということよりも、「自分自身に自信がつく」ということの意味合いが強いと思います。

自分がどんなに辛い時でも、継続してきたという自信。その自信が、人を強くするのだと思います。

新年にあたって、先般はトレーニングで決めたこと、今回は辛いときもあるが、継続することで、必ず自分の自信となることをご紹介しました。

皆さまも、是非、一度試みてはいかがでしょうか?

試験

本日、TOEICのListening & Reading試験を受験しました!

試験を受けるのは、おそらく銀行員時代以来と思いますので、約25年振りくらいでしょうか?これまでの試験とは違って、自分の現在の実力を知りたいということで、受けた試験ですので、特段、試験用の勉強はしておりませんでした。

なので、良い点数が取れるとは思っていませんが、流石に、ちょっと・・・ではなく、相当難しかったです・・・

Reading試験では、昨今のメール文化、webサイト文化を反映して、英文でのメール、サイトの読解の問題が多かった。私が遥か昔にTOIECを受験した時は、そのような問題は当然ありませんでした。

社会環境によって、資格試験の問題もどんどん変わっていくのだな〜!と実感しました。

ただ、その中でも昔と今でも変わらないもの・・・

試験会場での、試験官の人数でした・・・

500名は収容できる教室でしたので、25列✖︎20で試験官も25人はいたような・・・

なんでこんなにいるの?AIなんだかんだで、人ができる仕事が減っていくと言われている中で、この試験官の人数はなんのでしょう?しかも、いずれも年配の方ばかり・・・

主催されている協会がこの試験官をどのように募集?(アルバイト?)分かりませんが、年間で結構な回数ある試験の度に、このような人を募集しているとしたら、経費だけでばかになりません。

こんなところに人件費をかけないで、受験料をもっと安くしてもらえないものかな?と思います。

TOEICは企業をはじめ、昔より、英語能力を図る試験として、定着した感があります。ただ、受験料は昔と変わっていない。受験生が多くなって、収入が増えて、同じように試験官を増やす必要はないでしょう。

また、試験問題についても、ビジネス英語が主体で、普通の口語英語の出題が少なすぎるような気がしました。

今更ながらですが、この試験が本当に英語能力を正確に測る指標となるような試験なのか?疑問に思いました。

自分が変わったと思うこと

本日、私に刺激を与えてくれた4人の若者と話しました。

そのうち3人は本日、初めて会った人です。皆それぞれ、やる気を持って毎日を一生懸命生きている若者です。

彼らとの話しで私が最も強く思ったことは、4人とも自分主体で、何が自分はしたいのか?というところから、職業を選び、人生の選択をしているということ。一方、私は、このブログを始めた頃から、自分主体で、何をするか?と考え出した・・・その差・・・うん十年あるのに、私はまだ子供?と感じたことです。

おそらく、私は企業倒産ということを経験しなければ、周りの環境に合わせてさせいれば、大過ない人生を送っていたのではないかと思います。

もし死ぬとき、「あなたの人生は幸せな人生でしたか?」と問われたとき、波乱万丈の人生を送ってきたか?大過ない人生を送ってきたか?ということで、幸せだったか?ということは判断できないと思います。

この問いに私が今、答えるとすれば、資産ではなく、自分がやってきた考え、思いを誰かに引き継ぐことができれば「幸せだった」引き継ぐことができなければ、「幸せではなかった」と答えると思います。

私は子供のころから今に至るまで、「尊敬する人はだれですか?」と問われたら、迷わず「父です」と答えていました。ほとんど家にいない父、母を泣かせてばかりの父、父が創業した会社で一緒に仕事をしていたときも、喧嘩ばかりの父との関係でしたが、私はそのように答えています。本当にそう思っているからです。何か教えられたわけでもなく、一緒にいた時間が長かったわけでもなく、なぜか父です。何も言わない背中を見ていたんですね。

自分主体に動く、そして自分の考え、思いを引き継ぐ・・・

そんなことを考えた本日の出会いでした。

感謝です。

仕事始め

本日、仕事始めの方が多いのではないでしょうか?仕事納めの際にも、私はこの言葉に感じる意味について書きましたが、実は、年末年始、この言葉の意味について結構、考えていました。

仕事納め、仕事始め

本来、このような言葉は死語なのでしょう・・・

ユーチューバー、ブロガーなど、さまざまな職種でお金を稼げるようになった現代では、「始め」「終わり」など、人によって、職種によって、違うのは当たり前です。

なので、このような言葉で、投稿するのは、ブロガーとしては、間違い!!!

そもそも、私がブログを始めたきっかけは・・・

「中小企業経営者の心のコンセルジュ」ということで、この観点から、皆さまに有益な情報を提供することを目的に始めました。

「読者の皆さまに有益な情報の提供」・・・年始にあたり、再認識しました。

仕事納め

本日が仕事納めの会社が多いと思います。

日本を始め、欧米各国は12月末が年末、1月初めが年始ということになっていますが、私が住んでいた中国では、旧暦が年末年始となりますので、だいたい1月終わりか、2月初めが年末年始(年によって違います)になります。

では、12月末1月1日はどうするの?ということですが、会社によって、1日~2日は休みにする?あるいは休み無しで、そのまま営業するといったことになります。

これだけグローバル社会になったのですから、仕事上の相手が休みでも、会社に出社しなければいけない、とか、逆に相手が営業しているときに、こちらが休みとか、全く非効率のように思います。

中国では、先ほども書きましたように、12月終わりから、1月初めの期間は当然、日本は休みですが、中国は休みではありません。従って、仕事相手が休みにもかかわらず、中国人のスタッフは出社します。ただ、することがない、さらに日本人の上司は年末年始は一時帰国するので、管理者もいない。スタッフの質にもよりますが、給料をもらって、遊び放題です。

宗教上の理由、国の経済力の差、国民性の違い等で、世界的に休日を統一することはなかなか難しいとは思いますが、このままでいいの?と考えてしまいます。

明日から9連休の会社が多いかと思いますが、大型連休が増える度に、国が勝手に決める休日、祝日にもグローバルスタンダードを適用すべきじゃないの?と考えたりします。

忘年会って?

忘年会シーズンですね!

ネットなどで忘年会を調べてみると、日本独自の催し物のようです。欧米では、年末年始に催されるパーティーはクリスマスパーティー(近年は他宗教に気遣ってホリデイパーティーと呼ぶことが多いようです)か新年会とのこと。英語に訳するとend-of-year party、year-end partyと言われることが多いようですが、忘年会はbonenkaiと言って、意味を説明しないと、欧米人には分からないようです。

日本人が考える忘年会の意味は・・・

1)今年の仕事はもうお終い!さよなら今年、こんにちは来年!

2)今年も色々と問題、困難があったけど、綺麗さっぱり忘れて、来年を迎えよう!

3)今年もみんなよく頑張った!おつかれさま!来年もまた頑張ろう!

といったことだと思います。

日本では忘年会、新年会はセットになって、どちらかあるいは両方催されるケースが多いように思います。どちらかと言えば、会社が主催し、社員を慰労する催し(飲み会)という色彩が強いように思います。

忘年会という言葉を英語に訳してみて感じたのですが、いかにも日本らしい言葉?と思いました。

過ぎ去った1年を振り返るという意味での忘年会。振り返りが主体です。

英語はクリスマスパーティー:キリストの生誕を祝う会、新年会:これからの年を頑張ろう!といった意味合いの会です。また、プロジェクトが無事終了したときにのおつかれさま会等、「お祝いする」「これから頑張ろう!」「よく頑張った、おつかれさま!」という意味合いのパーティーになります。

従って、忘年会という言葉に、私は、「振り返り」「忘れたい」「忘れよう」といったある意味、ネガティブ?こだわり?年末への思いといった日本人としての特別な思いを感じました。

ネットを検索しますと、忘年会の語源ということで、色々と出てきます。時間があるときに、この日本人としての特別な思いを掘り下げてみたいと思います。


常識・当たり前って?

常識・当たり前という言葉が通じるのは、日本人の間だけって知ってましたか?

ハッキリ言って、常識・当たり前という言葉は、根底に共通認識がなければ、通じません。そもそも共通認識が違う人同志であれば、通じません。日本は単一民族でズッと歴史を作ってしますので、共通認識という根底部分では一致しているので、お互いの暗黙の了解ということが、通用します。

海外、特に大陸続きで侵略の歴史を辿っていた国は、常識・当たり前という言葉では何も通じません。なので、言葉に出して伝えること(ダメ・OK、分かった・分からない等々)でしか自分の身を守れません。

相手も同じ常識があるから、分かっているだろうと考えて行動すると、手痛いしっぺ返しをくらうからです。

私も中国にいたので、経験しましたが、大部分の日本人は、自分の意見を伝えつつ、相手の立場も尊重し、最終的には議論の落とし所を考えて、結論を導き出しますが、大部分の中国人は、自分の意見を言い放ち、相手の立場を考慮せず、自分の意見のみ通します。自分の意見を通した結果、失敗したら、周りの環境、人の責任にする・・・決して自分が間違えたとは言わない。

これでいいの?と感じますが・・・

世界的には、このような考え、対応の方が主流のような気がします。

こんな対応したら、どうなるの?誰もそのような人には近づきたくなくなり、孤独になるではないでしょうか?そこで、やっと本人は気が付きますが、それでいいのです。

世界にはたくさんの人がいます。だから、自分が気にいる人、気に入ってくれる人はどこかにいるはず。と考える「逞しさ」があるからです。

日本人の持つ「繊細さ」と中国人、欧米人が持つ「逞しさ」。この両面を持つことがこれからの我々には最も必要と感じます。

最近の企業問い合わせ窓口の対応について思うこと

一般消費者からの問い合わせ窓口ということで、大手企業は電話での対応を音声ガイダンスで行なっています。会員番号があるものはそこからの電話入力、あるいは、人件費節約からか?チャットでの対応案内と、出来るだけ直接の顧客対応をしないように心掛けているような気がします。

しかし、顧客側からすると、言えば済むことをいちいち入力しなければならないので、大変です。特にお年寄りの場合は、チャットあるいは携帯電話を使っての番号入力などできるのでしょうか?

企業側からすれば、電話問い合わせを無料にしているところは、その電話代の節約、あるいは、いたずら電話に対する対応の時間ロスを避ける等のメリットがあるのでしょうが、これで果たして顧客満足度は充実するのか?という危惧を感じます。

今後、日本は少子高齢化になり、人口が減って、お年寄りが増えていきます。なので、電話での問い合わせ等は減るはずです。お年寄りが多くなるから、逆に増える?かもしれませんが、もしそうであれば、尚更、お年寄り向けに直接対話での相談窓口を充実すべきと考えます。

お年寄りの気持ちはお年寄りがよく分かる?と考えれば、相談窓口のオペレーターも、お年寄りの方に働いてもらえば、お年寄りの雇用促進にもつながります。

と考える今日この頃です。

理想と現実

理想とは、いまの自分が将来こうありたいと考えている自分であり、現実とは、こうありたいと願っている自分ではなく、いまの自分。

人は理想の自分に近づこうと考えるものではないでしょうか?

でも、理想とか将来の自分なんて、どうなってるか分からないので、取り敢えず、いまの自分が現実なので、それを最も重要視して生きていこう!という考え方を持っている方も多いと思います。

私は、どっち?

もちろん、理想とする自分像があって、できるだけそれに近づきたいといつも願っています。なぜ?

そう考えないとカッコ悪いからです。

現実の自分はここまでと勝手に自分自身を納得させて、そこから先は他者依存というのは、生き方としてカッコ悪い!!

カッコ悪いと言ってしまうと、軽く聞こえるかもしれませんので、言葉を変えますと、自己成長を自分で拒否している。ということになると思います。

なぜ拒否するの?

面倒だから・・・と回答する方もいると思います。でもそれで楽しい?

楽しく生きるコツって?たくさんあると思いますが、ひとつは・・・

マジで、ガチで、難しいことに、真剣に取り組んで、それをやり遂げた達成感・・・やったぜ~!という境地に到達すること。

だと私は思っています。

理想を現実化できたとき、やったぜ~!ですよね?