忘年会って?

忘年会シーズンですね!

ネットなどで忘年会を調べてみると、日本独自の催し物のようです。欧米では、年末年始に催されるパーティーはクリスマスパーティー(近年は他宗教に気遣ってホリデイパーティーと呼ぶことが多いようです)か新年会とのこと。英語に訳するとend-of-year party、year-end partyと言われることが多いようですが、忘年会はbonenkaiと言って、意味を説明しないと、欧米人には分からないようです。

日本人が考える忘年会の意味は・・・

1)今年の仕事はもうお終い!さよなら今年、こんにちは来年!

2)今年も色々と問題、困難があったけど、綺麗さっぱり忘れて、来年を迎えよう!

3)今年もみんなよく頑張った!おつかれさま!来年もまた頑張ろう!

といったことだと思います。

日本では忘年会、新年会はセットになって、どちらかあるいは両方催されるケースが多いように思います。どちらかと言えば、会社が主催し、社員を慰労する催し(飲み会)という色彩が強いように思います。

忘年会という言葉を英語に訳してみて感じたのですが、いかにも日本らしい言葉?と思いました。

過ぎ去った1年を振り返るという意味での忘年会。振り返りが主体です。

英語はクリスマスパーティー:キリストの生誕を祝う会、新年会:これからの年を頑張ろう!といった意味合いの会です。また、プロジェクトが無事終了したときにのおつかれさま会等、「お祝いする」「これから頑張ろう!」「よく頑張った、おつかれさま!」という意味合いのパーティーになります。

従って、忘年会という言葉に、私は、「振り返り」「忘れたい」「忘れよう」といったある意味、ネガティブ?こだわり?年末への思いといった日本人としての特別な思いを感じました。

ネットを検索しますと、忘年会の語源ということで、色々と出てきます。時間があるときに、この日本人としての特別な思いを掘り下げてみたいと思います。


常識・当たり前って?

常識・当たり前という言葉が通じるのは、日本人の間だけって知ってましたか?

ハッキリ言って、常識・当たり前という言葉は、根底に共通認識がなければ、通じません。そもそも共通認識が違う人同志であれば、通じません。日本は単一民族でズッと歴史を作ってしますので、共通認識という根底部分では一致しているので、お互いの暗黙の了解ということが、通用します。

海外、特に大陸続きで侵略の歴史を辿っていた国は、常識・当たり前という言葉では何も通じません。なので、言葉に出して伝えること(ダメ・OK、分かった・分からない等々)でしか自分の身を守れません。

相手も同じ常識があるから、分かっているだろうと考えて行動すると、手痛いしっぺ返しをくらうからです。

私も中国にいたので、経験しましたが、大部分の日本人は、自分の意見を伝えつつ、相手の立場も尊重し、最終的には議論の落とし所を考えて、結論を導き出しますが、大部分の中国人は、自分の意見を言い放ち、相手の立場を考慮せず、自分の意見のみ通します。自分の意見を通した結果、失敗したら、周りの環境、人の責任にする・・・決して自分が間違えたとは言わない。

これでいいの?と感じますが・・・

世界的には、このような考え、対応の方が主流のような気がします。

こんな対応したら、どうなるの?誰もそのような人には近づきたくなくなり、孤独になるではないでしょうか?そこで、やっと本人は気が付きますが、それでいいのです。

世界にはたくさんの人がいます。だから、自分が気にいる人、気に入ってくれる人はどこかにいるはず。と考える「逞しさ」があるからです。

日本人の持つ「繊細さ」と中国人、欧米人が持つ「逞しさ」。この両面を持つことがこれからの我々には最も必要と感じます。