映画「フォルトゥナの瞳」を観て

百田尚樹原作の小説の映画化です、彼は元放送作家ということもあり、これまで「永遠の0」「海賊と呼ばれた男」など、数々の作品が映画化になっていますが、どの作品も、映像化したときに、見栄えのする設定とストーリー展開となっています。まさに映像化を前提に作品を書く放送作家としての面目躍如といったところでしょうか。

本作品も、人の死を予知できてしまう能力を持った青年と、恋人の純愛物語といった設定自体は、真新しいものではありませんが、「運命」「愛」「自己犠牲」といったテーマをそこに重くない程度に乗せて、考えさせられてしまうのは、すごい!としか言いようがありません。

★★★★・・・自分の考え、行動に変化をもたらすようなことだが、ショックを受けるまでにはいかないことの場合。

ここからは、ナタバレになりますので、気をつけてください!

劇中の言葉で、「人は朝起きてから、寝るまで大小さまざまな選択を9,000回している」ということです。なので、「これが運命です」と決められたくない。まさにその通りと思います。こんなにたくさんの選択をしてきて今の自分がここにあるわけで、それが運命というもので、最初から決まっていたなんてことは、あってはならない、納得できないということです。

「運命は変えられる」 日々繰り返される9,000回/1日の選択をしてきた末、ここに自分が立っているからです。

また、フォルトゥナの瞳という、ほしくない能力を持ってしまったために、見えた他人の死を回避する行動にでると、自分の寿命が縮んでしまう・・・だから、見えて予知できたとしても、関わるな・・・ということが正解なのですが、大事な人、守りたい人、愛する人には、伝え、守りたいという気持ちを抑えることはできない。最後に、主人公は唯一この瞳もを持ってしまったことに感謝します。それは愛する人に出会え、初めて傍観者から積極的に動く人に自分を変えることができたことに対してです。

現在の世界人口約75億人のうち、人生80年として、自分と何らかの接点を持つ人30,000人、同じ学校、職場、近所の人3,000人、親しく会話をする人300人、友人30人、親友3人と言われているようです。これまで、私は人生の選択を積極的にしてきたことが、あまりなかったような気がします。また、先ほど書いた自分の一生で出会える人についても、いろいろな出来事があったために、私の場合は上記数字の3分の1以下になっていると思います。

そんな私が、今思うことは、人生を何回か繰り返して生きることができたとして、2回目、3回目・・・の人生でも、同じ選択ができるようなことを今、選ぶということです。今までも私は自分の選択を後悔したことはありませんが、これからは特に、直感プラス自分の信念といったもので、選択していきたいと思います。

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