映画「翔んで埼玉」を観て~出身地でディスれる日本は平和な国?(少しネタバレ)~

すごい映画を観てしまいました・・・基本的には笑えます。笑って終わりだけにしたい映画だと思うので、あまりグタグタと書いてもしょうがないないですが、こんな漫画、映画が製作できる日本はつくづく平和な国だな~と思いましたので、それだけ書きます。

★★・・・時間の無駄にはならないが、私の感性の中で、何かしらの気付きまでは得られないと感じた場合。

私は上海に5年ほどいましたので、中国での出身地格差を目の当たりにしておりました。そこでは上海出身上海育ち(厳密に言えば、出身地変更はできますが・・・)の人のことを上海人という、まるで、地球人と宇宙人の違いのような言い方をします。彼らには、税制上の優遇処置もあり、明らかに格差があります。

なので、それを鼻にかける上海人が多く、地方出身者を見下し、彼らが分からない上海語という言葉で会話します。標準語は北京語なので、地方出身者と話すときは、標準語である北京語を使えばいいのに、わざと上海語で話したりします。上海人が中国国内で嫌われる理由です。

ここまであからさまでなくても、世界各国には白人と黒人の人種差別、出身地別での格差が非常にあり、よく映画の題材としても取り上げられます。

非常にナーバスな問題を、この映画はお笑いにしてしまった・・・ある意味スゴイ!とは思いますが、他の国でこのような映画が製作できるか?と問われれば、無理なような気がします。

「日本埼玉化計画」「世界埼玉化計画」ということで、実は、埼玉出身者は、日本の到るところにいて、この計画を着々と進めているということで、単なるディスるだけでななく、夢と希望で終わってはおりますが、これまでの歴史と現状に変化があったわけではありません。

自虐ネタ?といった感じでしょうか?

海外にいますと、彼ら(外国人)は見栄とプライドが高く、決して自虐ネタなんて言わないように思います。自虐ネタに、見栄とプライドはありませんが、日本人も、外国人と違った意味の見栄とプライドを持っています。それは、消極的な意味での見栄とプライド。すなわち、良くも悪くも突出したくない、最低と最高の間にある見栄とプライドです。

この映画が成立する考えは、同じ出身地なら「仲間」としたことです。海外であれば、ここに「個人」が入ってきますが、日本では「仲間」だけで終わります。

日本は平和な国だな~!と思いませんか?!