角松敏生New CD「東京少年少女」を聴いて~今の自分の役割を再認識しました~

皆さんは角松敏生というミュージッシャンをご存知でしょうか?杏里の「CAT’S EYE」「悲しみがとまらない」、中山美穂の「You’re My Only Shinin’ Star 」、長野オリンピックのテーマ曲で使用された「ILE AIYE~WAになっておどろう」といった曲を作ったミュージッシャンです。1981年デビューのベテランですが、今でも毎年コンサート活動は続け、5年に1回は周年記念コンサートを開催し、横浜アリーナを満席にする根強いファンがいるアーティストです。

私は、デビュー当時より彼の楽曲、音楽性が好きで、聴いておりました。おそらく現存する日本人アーティストの中で、私と最も音楽的ルーツが一緒のアーティストです。

そんな彼が、約1年振りに新譜「東京少年少女」を出したので、早速聴きました!

★★★★☆・・・4.5点!!(5点満点)

角松敏生は、歌手、ギター奏者、プロデューサーといった様々な顔を持つアーティストです。どの分野においてもプロです。したがって、デビューアルバムは別として、ほとんどの楽曲を作詞作曲し、セルフプロデュース、インストゥルメンタルアルバムでは、ソロギター奏者としてプレーしています。

にもかかわらず、今回のアルバムでは、作詞共作ということで、アルバムタイトルも???がついてしまうもの・・・期待半分、怖さ半分といった感じでした。

最初聴いたときは、ハッキリ言って「何これ?」といった感じで、ボーナストラックとしてついている昔の曲のリメイク版しか聴いていませんでしたが、何回か聴いているうちに、違和感のあった歌詞が不思議と面白く聴こえるようになってきました。

というところで、彼が「Player5月号」という雑誌に、このアルバムについて語っている記事を読んで、納得しました。

そもそも新曲の歌詞は、舞台作家のKOUTAさんという方のまだ頭の中にある舞台構想を音楽にしてしまったものということ。でも、私から言わせれば、そんな事する必要がなぜあるの?そのままストレートに自分で歌詞を書けばいいじゃない!と思います。でもそうしなかった理由・・・。音楽業界という厳しい場所で、彼が生き残ってこれた思いがそこにはありました。

この音楽業界をずっと生きてきた角松敏生さんの思いと、私が今、考えている思いが図らずも合致したと思えた言葉がこの雑誌に掲載されていたので、そのまま引用します。

「先に述べたようにミュージカルの世界とかにフィールドを広げると、否が応でも若い人たちとの付き合いが増えてしまうんですよ。でもその年代の人間たちとも仕事を通じて納得させられる自分でいたいと思うわけです。それは若作りするっていうことじゃないですよ。こっちの言い分をちゃんと向こうに伝えられるということです。ようするに、小学生や中学生にさえも僕の世界を理解させるスキルを持たせたいんですよ。僕自身もね。少年少女にうけることをするんじゃない。彼らが理解してくれるような発信ができる能力をつけたい。それは勿論、自分の音楽に活かしていけると思うので」

自分の思い、考えをいかに若い世代に伝えていくか?逆に彼らから何か吸収して自分の人生に役立つことはないか?私も常にそのことを考えています。関係性はイーブンですが、その関係性をうまく構築できるのは、年長者である我々が、まず手を差し伸べて形をつくっていく必要があると思っています。それが我々の役割ではないでしょうか?