サワコの朝に出演した下重暁子(シモジュウアキコ)さんの言葉が印象に残りました~これからのあなたは、終活しますか?スタートしますか?~

私は、気になるテレビ番組は録画しておき、あとから番組に応じて見方、聞き方を変えて視聴しています。

ドラマ、映画、ニュース、ノンフィクション、対談番組などです。ドラマ、映画以外の番組はだいたい、何か別のことをやりながらちょこちょこ見たり、聞いたりしています。そして気になったところがあれば、早戻しして再生するといったことをしています。逆に、見ていても最初の2~3分でピン!とくるものがなければ、最後まで見ずに消去してしまうといった具合です。

気になるワードとか、出来事は日頃から無意識のうちに注意していますので、ちょっとのことで敏感に反応します。情報過多の現在社会での情報入手はこれでいいと思います。

そんな中、サワコの朝という土曜日7:30~8:00までやっているテレビ番組に、作家の下重暁子さん(83歳)が出演された放送を録画して、あとで見ました。

私は下重暁子さんのことは、この番組を見るまで、これまで全く知りませんでした。なので、いつものように他のことをやりながら、この番組を流しておりました。ただ、そこから流れてくる言葉が「いかにも男前(下重さんは女性です)」であり、「共感できるキーワードばかり」だったので、早戻しして、ほとんど一言一句メモしたのです。

昨今、終活という言葉をよく耳にします。この言葉の意味を私は、死ぬときのことを考えて、今から準備をする・・・ということのように捉えています。ただ、私のように今も、これからも、資産と呼べるものを何も残せない人たちも少なからずいます。そういう人にとって残せるものとは、自分が生きたという爪痕、痕跡です。下重さんの言葉は、そんな私の思いと共感することが多いものでした。

その中のいくつかの言葉をここに書かせていただきたいと思います。

彼女は、1936年生まれの83歳の女性です。1959年にNHKにアナウンサーとして入局しました。その後、30歳代で作家の道へ、78歳(2015年)で書いた「家族という病」が、63万部のベストセラーとなる。その後、「極上の孤独」「年齢は捨てなさい」などの著書が重版を重ねる販売となります。

1)「家族という病」:家族=良いものという図式に苦言を呈する。これまで、家族に対して、優しくしなければいけない、仲良くしなければいけないと考えることが当たり前を思われてきたが、そうではない!家族の中での自分は、父、母、兄弟という役割を演じているだけであり、大切なことは全て個人。個人が好きなことをして生きるべき。

2)「極上の孤独」:孤独と淋しいとは全く違う。淋しいのはそのときの感情だが、孤独とはそれを突き抜けた覚悟を表す言葉。したがって、孤独は可愛そうではなく、孤独は素敵な時間である。

3)「年齢は捨てなさい」:自分は現在83歳だが、60歳以降は歳をとっていないと自分では考えている。年齢と自分の本質は関係ないことなのに、年齢を聞くことで、一般的なその年齢の人と同じ枠に当てはめようと考える人が多すぎる。特に、前期高齢者、後期高齢者といった枠を決められるのは腹立たしい!

4)待つエネルギーの大切さ:下重さんは小学校3年生のときに、結核という病気になって、約2年間、家で療養していたそうです。そのときに、友達は蜘蛛だけだった・・・蜘蛛から学んだこと・・・蜘蛛は獲物がかかるまで目が離せない。その待つエネルギーはすごい。待つことで、熟成される気持ちが物事を成就させ、人を惹きつける。

5)83歳になった今、やっと自分に合った自己表現手段を手に入れた。今がスタート地点に立ったところ。ただ、これまでやってきたことは、まわり道ではあったが、必要だったこと。このまわり道があったからこそ、今がある。